殉教記念祈りのツアー写真集
2013年2月6日水曜日
間も無く出発
今日は殉教ツアーが行われます。間も無く出発致します!
お墓へ
まずは、主の十字架のお墓へ向かいます。近いので、車で分乗して行きます!
主の十字架のお墓
朝一番に、主の十字架のお墓に行きました。
お墓につきました。
お墓につきましま。
現在、主の十字架の唯一の固定資産です。
主の十字架のお墓
こちらがそのお墓です。
たくさん参加しています。
今回のツアーにも、多くの方が参加しておられます。あいにくの空模様ですが、皆さん真剣に聞いています。
お墓が与えられた経緯
主の十字架にお墓が与えられた経緯について、イザヤ牧師がお話ししてくださっています。
神様のことば、多くの摂理から、特別な導きのなかで、与えられたお墓です。
高木千右衛門
こちらは高木千右衛門のお墓です。激しい迫害の中で、唯一信仰を守り通した、彼と同じ敷地に主の十字架は与えられています。
バス到着
バスが到着しました!
バスに乗り込みました。
これからバスで26聖人の足跡をたどるツアーに出発します!
出発!
9時に教会を出発し山本村に向かっています。
お祈り
出発前に、今回のツアーの主催である祈りのミッションの代表、テモテ小林牧師にお祈りしていただきます。
ツアー開始!
いよいよツアーが始まりました。
毎年、イザヤ牧師が26聖人の歩みと共に、
主の十字架の歩みと裏話をたくさんして下さいます。
毎年多くの語りかけを受けています(^_^)
ガイド
まず、山本を目指します。
バスの中でガイドをするイザヤ牧師です。
相棒
最近のもっぱらの相棒です。
iPhoneを五回フル充電出来ますd(^_^o)
山本村
山本村へ到着しました!
ルドビコ茨木が神を選んだ地
ここは26聖人の1人、ルドビコ茨木が神を選んだ地です。
主の十字架の方々も、パウロ秋元牧師を始め、多くの方がここで祈りました。
それぞれに
それぞれに分かれてお祈りします。
視線の先には
お仕事の休みをとって来た望ちゃん。
その視線の先には…
やはりこの人
やはり山本牧師がいました(^ ^)
自然とそばにいるそうです(笑)
山本村で山本牧師も祈ります。
礼拝
礼拝が始まりました。
天に向かって喜びの声を〜!
彼杵へ
彼杵へ向かって出発します。
昼食
彼杵で祈る前に、こちらで昼食をとります(^ ^)
どれにしようかな?
たくさんの種類のお弁当に目移りします。どれにしようかな?
今日も大量
何よりも食事が大好きと語るiさんは。
お昼から3つもお弁当を食べるようです((((;゚Д゚)))))))
わきあいあい
なんと和やかな食事風景でしょうか( ̄▽ ̄)
ここでも
外でも。
寒そう(-。-;
彼杵の海へ
それでは彼杵の海へと向かいます!みんないるかな?
徐々に晴れて来ました。
徐々に晴れて来ました。感謝します。
乗船場後
ここから26聖人たちは、舟で時津へと向かいます。
彼杵で
祈りの時が持たれました。
ペテロ・バプチスタ
26聖人のリーダーであるペテロ・バプチスタはここで涙を流しました。
それは、恐れではなく、この国の宣教に対する思いからでした。
しかし、その姿を見た役人は笑い、言いました。「神父でも恐いのか」それを知ったペテロ・バプチスタは涙を止めました。この国の人々のために。
彼らの信仰と宣教に対するスピリットは、私たちの胸を熱くします。
ブログアップしています。
先ほど充電完了したiさん。本日は教会のブログをせっせとあげています(^^)
彼杵から
彼杵から移動します。
とても深い臨在でした!
ばったり
昨日、殉教聖会だったので、ところどころで、主の十字架の方にお会いします。
そっくりでした
野見山副牧師とそのお姉さん。
イザヤ牧師のお話し通り、そっくりでしたd(^_^o)
宣教のスピリット
26聖人の中には、ペテロ・バプチスタを始め、多くの外国人がいました。
私たち日本人も、これから他民族のために、まだキリストを知らない人々のために、いのちを使い尽くして全世界に出て行きたいと思います!
名の知られていない殉教者
この国では、かつて多くの殉教者がいました。その中には、名も記されることもなく、殉教していった人々も多くいたのです。
しかし、彼らの名は26聖人たちと同じように、天に記されていることでしょう。
時津港
時津へ到着しました。
時津へ
2月5日。26聖人たちは彼杵から時津へ舟で連れて来られました。
しかし、暴動を恐れた役人たちは、上陸させることを拒みました。
後ろ手に縛られたまま、彼らは凍えるほど冷えた海の上で、一晩を過ごしました。
西坂へ
西坂に到着しました。
礼拝が捧げられています。
預言
イザヤ牧師とテモテ小林牧師を通して、預言が語られました。
レリーフ
西坂には、26聖人の殉教を記念してレリーフが作られています。
子どもたち
26聖人の中には、まだ10代の子どもたちがいました。彼らもまた、処刑のために十字架にかけられながらも、天を見上げて神を賛美しました。
彼らの歌声は銀の鈴の音のように、澄み切っていたと言われています。
確かな信仰
ガイドを通じて、日本最初の殉教者として選ばれた、この一人一人に、確かな信仰があったことが分かります。
ショートメッセージ
テモテ小林牧師よりショートメッセージが語られました。
「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」マタイ22章14節
各自で
西坂でも各自でお祈りします。
特別に
レリーフの後ろには記念館があります。特別に館長であられる、ルカ・レンゾ様みずから案内して下さいます。
記念館の中へ
神父様の案内で記念館の中へ。
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